創薬化学と特許の関わりについて

この記事は 創薬 Advent Calendar 2017 - Adventar (#souyakuac2017 hashtag on Twitter)の第17日目の記事です.本日から2回に分けて創薬,特にメディシナルケミストと特許について概説したいと思います (知財部の専門ではないので用語の正確性に欠ける点はあるかと思いますがご容赦下さい).

 

医薬品開発における特許の重要性や他業種と比べた特殊性については今年良記事が出てましたのでそのリンクを紹介させて頂きます.下記リンクでは特許が製薬企業の売上にどれだけ重要か,特許の種類 (物質特許・用途特許・製剤特許・製法特許について),特許成立に必要な要件 (産業利用可能性・新規性・進歩性・先願)について紹介されています.ぜひご一読下さい.

 

医薬品の特許戦略、その重要性とは?『医薬品クライシス』著者・佐藤健太郎氏が語る、医薬研究職の世界 Vol.6

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特許を制する者が医薬品を制する 『医薬品クライシス』著者・佐藤健太郎氏が語る、医薬研究職の世界 Vol.7

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 この記事では,

  • 化学者が特許に関わるタイミング
  • 特許明細書の構成
  • フリーの特許情報源
  • 特許を見て分かること (の私見)

について記載します.

 

化学者が特許の関わるタイミング

研究開始前や創薬初期 (スクリーニングヒット段階)

 先行研究調査で文献調査や他社(製薬会社だけでなく大学等も含む)の臨床開発情報と合わせて調査します.自身が狙っている創薬ターゲットで既に化合物が特許公開されていた場合は,その化合物数,構造,生物活性,特許数や出願している製薬企業数,特許公開時期,特許の成立状況を見て,そのターゲットに自社としてどのように取り組むべきか検討します.

合成研究中

 化合物のin vitro/in vivo活性やADMEToxを指標に最適化研究を進めますが,特許が取れなければ事業性は一気に低下します.もし首尾よく臨床開発に進め得る化合物プロファイルが得られたとしても公知特許のクレームの範囲に含まれ化合物の新規性が主張できない場合は新規性を獲得できるような構造変換が必要です.メディシナルケミストリー論文では活性やADMEToxに焦点を当てた記述に終始することが多く,新規性の観点からの構造変換は語られないため,製薬企業外から見るとピンと来ないところかもしれません.

 他社の化合物は単に眺めて終わりではありません.特許が出ていたらベンチマークとなる化合物を自社でも合成・評価して,プロファイルを知る必要があります.しかしどの化合物を合成すべきか?はそれほど単純な作業ではありません.特許中にはともすれば何百化合物も記載があります.生物活性値 (in vitroすら)記載がないことも多々あり,論文のように最適化経緯が書いてあるわけでもありません.

 他社特許中の重要化合物 (key compounds)は,特許明細書の(1)クレーム,(2) 本文 (Description)の活性値や合成量などを見て推定します.(1) クレームでは最初の第1クレームで広くクレームし,その後第2クレーム,第3クレームとどんどん絞り込んでいくように記載されています.そのためより後半のクレーム記載に該当する化合物が重要であるという考え方です.(2) in vivoやin vitro二次アッセイが記載されている時は比較的選択は容易です.一方,in vitroのbiochemicalな活性値のみの場合,どのような目的で重要化合物を推定したいかによってその選び方は変わってきます.単純にin vitro活性を見たいだけなら活性値を基準に選べば良いですが,in vivo活性も検証したいならば薬物動態も考慮して化合物を選ぶ必要があります.実際には薬物動態データの記載がない場合が多いため,脂溶性や極性表面積,分子量などの物性値だけでなく,最後は化学者の経験から選ぶことになります.合成量も重要です.もしある化合物が活性・毒性面で有望なプロファイルを示した場合,その周辺化合物を集中的に合成しているはずで,もしある中間体もしくは最終物が他の化合物よりも多く合成されていた場合はその周辺は有望であろうとの考え方です.有望な化合物周辺は集中的に合成されているだろうとの仮説を元に計算的に重要化合物をピックアップする手法も報告されています (Hattori, K. et al. J. Chem. Inf. Model. 2008, 48 (1), pp 135–142 ; 日本語の記事もあります).

特許出願とその後

 合成研究が進んだら特許出願ですが,出願時期は様々な要素を考えた上で決定されます.出願が遅ければ他社に先んじられる可能性がありますし,一方早すぎれば特許が切れるまでの期間を短くしてしまうことになります.完全に合成研究が終了してから出願することも可能ですし,出願後も1年間は新たな化合物の記載を追加することが可能なため.その期間を見越して早めに出願することも可能です.出願後も合成研究が続く場合は,他社のみならず自社がクレームした範囲も考慮しながら合成を進めていかなければなりません.

 

 

特許の構成

 多くの特許はPCT出願後 ,1年以内の実施例追加期間を経て,出願から1.5年後に国際知的所有期間 (WIPO)のデータベースPatentscope にて公開されます.日本では毎週木曜日の夕方から金曜日朝が公開タイミングです.PCT出願とはPCT加盟国(日米欧各国や中国も加盟しています)での特許出願手続きを改善するための制度です.特許は公開された時点ではまだ権利化されておらず,同じWO特許の内容で各国の特許法に基づいて審査され,特許が認められると登録特許となります.同じWO特許から派生した各国特許をパテントファミリーと呼びます.また公開した時点では特許番号末尾にAが付きますが,登録特許になるとUSの場合B2が付きます.このように末尾アルファベットで特許の権利化状況が分かります (このような特許の分類を特許種別と言います).

 

メルク社のDPP-IV阻害剤sitagliptinを例にすると以下の3つはいずれも同じファミリーの特許です:

 

 WO特許は「Front Page」「Description」「Claim」「Drawings」「Search Report」から構成されます.

Front Page

 特許番号や公開日,発明者などの特許基本情報です.主な箇所だけ取り上げます.

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(Front Pageの例, WO2003/004498A1より)

  • Pub. No.: 特許番号
  • Publication Date: 特許公開日
  • IPC: 国際特許分類として,特許がどの分野に関するものかアノテーションしたものです.低分子医薬品特許の場合,多くはA61K (A61K 医薬用,歯科用又は化粧用製剤 )かC07D (C07D 複素環式化合物 )が付与されていることが多いです.テキスト検索でヒット数が多い時の絞り込みなどの参考になります. 
  • Applicants,Inventors: 出願人および発明者
  • Priority Data: 優先権主張日です.各国移行の際にこの日付から権利を主張できます.公開日の1.5年前となっていることが確認できます.

 

Description

 特許本文です.まず特許の背景情報が記載され,次に細かく特許の詳細説明 (クレームする化合物や用語の定義),製造法 (仮想の合成方法),実際の合成例 (参考例,実施例)と続き,最後に生物活性評価方法 (とデータ)が記載されています.実際は詳細説明や製造法がかなり長々と記載されているため,前から読むよりは後の生物活性から見ていくと特許の概要が掴みやすいです.

 疾患名やターゲットタンパク名などが広く記載されている場合が多いため,単純なテキスト検索やマイニングの対象にする場合は注意が必要です.また、WIPOの[Description]タブから見れるテキストはOCRのため,化合物名が間違いが散見されます.


Claims

 特許が主張する内容です.先述の通り最初の第1クレームでは広い範囲でクレームされ,そこから徐々に絞り込んで記載されていきます.また,特許でクレームされる化合物の一般式をマーカッシュ構造 (マルクーシュ構造)と呼びます.

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(マーカッシュ構造の例, WO2003/004498A1より)

 

Drawings

 特許内にグラフや図表はこの項目にまとめてある場合があります.

 

Search Report

 WO特許明細書の最後に付いていて,該当特許と関連する先行技術 (論文,特許)とその関連の内容が簡単にまとめてあるため,特許性の参考になります.

 

 

情報源

 商用特許データベースを使っている方も多いと思いますが,ここではそれらは取り上げずフリーのサイトを幾つか挙げておきます.

PCT Patentscope 

 WO特許やPCT加盟国の特許が収載されており,特許明細書PDFも入手できます.また最近機械翻訳に力を入れており,英語以外の言語で公開されている特許でもGoogle Chromeの翻訳ツールバーのような機能が使えます (但し,日本語や韓国語など一部の言語以外はOCR).最近アカウント登録すると構造式検索機能ができるようになりました. 但しやはりOCRであるがゆえの精度の低さや,中間体などの本文中の全てのテキストを対象に拾ってしまうので今時点での性能は期待できません.もし構造式から検索するならばSureChembl の方が使い勝手が良いです.

 

Espanet

 欧州特許庁のサイトです.検索結果の特許のファミリー特許検索が可能で,先行している他社特許の各国移行状況が分かります.

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(WO2003/004498の検索結果.左の"patent family"をクリックすると各国のファミリー特許一覧を見ることができる)

 

Google Patents

 US特許に対応してます.WO特許より先にUS特許が公開されることもあるため,Google Scholarなどでアラートをセットしておくと即時性の高い情報が収集でき便利です.WIPOのテキストよりキレイなテキストで検索できるのも大きなメリットです.

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(WO2003/004498 [上]と対応するUS20030100563A1[下]の化合物名)

 

 

特許を見て分かること (の私見)

 上述の通り特許は論文と異なり構造変換の説明も無ければ細かな生物データも無いことが多いです.しかし論文とは異なり企業のビジネスと直結しているため,特許を他の情報と組み合わせて見ていくとその企業の研究戦略や実態がおぼろげながら浮かび上がってきます.

 一つの企業から出てくる同一ターゲットの特許を経時的に追っていけばそのターゲットにかけている化学者の人数が推定できます.あるメンバーの名前を経時的に見ていった時,その化学者が別のターゲットの特許で出てきたら,もしかしたら前のターゲットの合成研究に何かの区切りがついたのかもしれません.もしその前のターゲットがいつまでもパイプラインに出てこなかったら,それは経営方針の変更かもしれませんし,前に進められない何かネガティブな要因が見つかったのかもしれません (開発に見合う化合物を創出できなかったのかもしれないし,ターゲット由来の副作用が回避できなかったのかもしれません).また,特許開示より前にメディシナルケミストリーの論文が出ていたとしたら,その論文の化合物は特許で保護するだけのものではなかったとも考えられます.

 他社の特許と見比べていくと,ある会社の化合物を見て別の会社が合成研究を始めたのではないかと思われるような事例も見つかります.そのタイミングやキャッチアップの速さでその企業のマネジメントのスピード感も想像できます.

 

 これらは全て憶測で何が正解かは分かりません.それでも特許を他の情報源と組み合わせて他社の研究動向やその研究者の思考過程に思いを巡らせたり,周囲の方と色々議論してみると色々面白い発見や意見が出てくるはずです.

 

 23日には実際にPD-1の特許を調査して考察した内容について紹介したいと思います.

 

(更新履歴: 2017/12/23 - 誤字修正)